備中矢掛 高峰山 大通寺 宗派 曹洞宗
天平15年(743年),高峰山山頂に承天和尚が行基作不空けん索観音(岡山県重要文化財)を安置し大通寺を開創した。
庭園は,寛政5年(1793年)から文化年間にかけて中西源兵衛が作庭し,高峰山を写景して力強い石組みが見られる。 場所 矢掛町小林
江戸時代寛永年間以来,参勤交代の大名の宿泊所であった。本陣座敷には,上段の間や次の間などあり,酒屋関係,母屋がある。また,大量の宿泊資料が現存する。宿泊大名は,年平均14家,西中国(萩,石見,安芸),九州(唐津,肥前,筑前,筑後,薩摩)大名で,行列総数500から600名で構成され,本陣を中心として町全体に宿泊した。
当家の発祥は遠く室町の守護山名氏と伝えられており、因幡の国(現鳥取県)高草郡鹿野城より戦乱をのがれて矢掛に来り、高草と称し、屋号を東平田家と云う。宝暦八年に現在地に居を構え、代々金融業を営んで財をなし、寛政十年頃から庭瀬藩の掛屋(会計方)を務め、文化二年頃より藩の札場元方(札元)として藩札の発行にあたると共に、文化十三年から二十年間にわたって矢掛村庄屋を務める。天保六年に至って、小田郡の大庄屋となり、大高草とよばれた旧家である。屋敷は当初の敷地を漸次左右に買い増し敷地の増大と共に家屋の建増したもので、街道の北側に位置し、間口十四間で奥行が深く、街道に沿って南側西よりに表屋造風の母屋が建ち、東側は南端に蔵屋敷が妻を見せて建ち、その北方は供部屋、高塀と続いている。棟数としては重文民家中全国最多である。
財団法人 矢掛町脇本陣高草家住宅保存会資料より